狼に蛍が一匹とまっている

「狼に蛍が一匹とまっている」

この短歌を聞いた時、くすっと笑って素敵だ!と思った。
ちょっとおまぬけでポップな情景を思い描きながら、
子どもたちにも「どんな感じ?」ってワクワクしながら聞いてみた。

すると娘は、寂しいね、と言ったので私は驚いた。
娘には一匹狼の寂しそうな姿に寄り添う蛍が見えたのだと教えてくれた。

息子は更に、息子らしい答えで、
群れの中にいるちょっと出来損ないの弱い狼にとまった蛍が励ましているんだよと教えてくれた。

その二人の答えにまた、二人の生き方を見た気がして、心をうたれていた。

同じ言葉を聞いても、人によってこんなにとらえ方が違うもので、
毎日隣にいる子どもたちの耳に残る世界さえ私は知らない。

言葉は無意味だと思う日がある。
言葉に翻弄される日もある。
言葉に救われる日がある。

そうして、また、私は私の言葉を紡ぎながら、やっぱり言葉は面白い!と思っている。

最近、家族でお題を出し合って短歌を詠みあう雅な遊びをしている。
子どもたちの言葉はいつもフレッシュで、心にまっすぐ届く。

2021年11月26日

天からぼたもち

「棚からぼたもち」は好きな言葉の一つだけど、
先日、たまたま好きなコラムの中でこの言葉について触れていた。

「棚から牡丹餅」は、ありもしない所から牡丹餅が勝手に落ちてきたのではない、
誰か、もしくは自分がそこに大切にしまっておいたものが、忘れた頃に出てきたか、
偶然見つけたか、だ。みたいな話だった。

その話を聞いて大人になった私はしみじみとした気持ちになった。

ずっと、落ちてきた牡丹餅にラッキー!ぱくっ!だった私は
その牡丹餅がどこから来たものか、なんか考えたこともなかった。

その牡丹餅は多分、家族がしまっていたものだったろうと思う。

自分の幸運だと思いこんで、ニタニタ私が食べている所を見つけても
笑っていてくれるように思った。

そして、大人になった今、落ちてくる牡丹餅を自分が入れる番になった。
コツコツと生きて、牡丹餅をいろんな棚にしまいこんで。

あぁ、最近牡丹餅が落ちてこなかったのは、食いしん坊の私が作った牡丹餅を口に入れていたからか。と納得して笑った。

なんて思いながら、息子に「棚から牡丹餅」って言葉知ってる?と聞いたら知らないと答えたので、
本来の意味を説明してみた。そしたら、神様が落としてくれたんやね。
と言ったので、「それは天から高速落下牡丹餅やね!」と言って笑った。

これが、私の最近の棚からぼたもちだと思う。

2021年11月22日