仲良しの木

はじめて私が木と友だちになったのは、小学校1年生の時に担任の先生が「仲良しの木」をみつけましょう。
という授業をしてくれたからだったと思う。

私が通っていた小学校は森の中にあって、緑の多い学校だった。
私は1年目にイチョウの木と仲良くなり、二年目にクロガネモチの木と仲良くなった。

小学校にいた間、その木とは親友みたいに話をして、卒業してからも時々会いたくなるとこっそりと会いに行っていた。
それ以来、いろんな場所で人と同じくらい木とも素敵な出会いをして、
よく行く場所であれば、散歩がてらに、話をしに行き、
遠い場所で出会ったなら、また来るね、と約束して、それを理由に旅行に行ったり。

家族の付き添いで行った暗い病院で大丈夫と寄り添ってくれたパキラ、
下の子の名前を考えていた時、相談にのってくれた大きな楠。
沖縄で出会った人懐っこくて自由奔放なガジュマルの木。

言い出したらきりがないほど、可愛い友達たち。

今日もあの場所で立っている。
それが、私の支えになってくれる。
木は人の耳には聞こえないけど、同じ根っこでつながってるんかな?くらい広い世界のことを知っていて、
不便なのは動ける人間の方かもね、とさえ思ってしまう。

最近仲良くなった、楠。


一目みて、よく来たねと言ってくれた。

生まれ変わるなら木になりたいなぁ。

2022年2月22日

豆ごはんの炊き方

豆を入れる

炊く

食べる

2022年2月22日

谷デザインさん

いつもお仕事を頂いている「谷デザイン」さん。

富山県にあるデザイン会社さんで、いつもとっても素敵なデザインがやってくる。
すごいなぁーーお会いしてみたいなぁ。とZOOMをしている声をこっそりと影で聞いている私(笑)

岡山にお仕事があって、家族で香川にも寄ってもらえるらしいけど…と聞いた私は
「え!?お会いできるの!!!」
ウキウキウキ。

しかし、わんこを連れていくのか…

そして、緊張していた私はいろいろと聞きたいことがあったのに、
気が付いたらウナギイヌの話をしている…

あぁ、描いている日本画を見せてくださいって言いたかったのに。とか、
彫刻家のおじいちゃんの妄想を膨らませている間に、あっと言う間に時間は過ぎてしまっていた。

それでも、想像していた通り、やはり素敵なご夫婦で、
初めてとは思えないくらい気さくにお話しして頂いた。
そして、私の野心にも火をつけて頂き、年始からごうごうと心が燃えて来たーーー!

素敵な出会いに感謝。

今度はナナちゃんに会いに行きたいなぁ。
スキーを教えてほしいなぁ。
雪のかまくらをみんなでつくりたいなぁ。

また一つ楽しみが増えた。

2022年1月15日

迷わずゆけよ、ゆけばわかる

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」
高村光太郎の言葉だったか、高校生くらいでその言葉を切り取って知った時、
なぜか、すごく悲しい気持ちになった。

日が落ちた後、息子と散歩していて、遠くの方に光る赤い灯台の光を見つめていた。
そして、その言葉を思い出した。
「人の道も、ああいう風に、ここに行けば正解ですよみたいな目印があればいいのにね。」って、
息子に独り言みたいにつぶやいた。

そして、「私の前に道はない。私の後ろに道はできる」だって、と続けて話した。
息子は何も言わず何か考えていた。

私はいつもへっぴり腰で生きている。
何もない所を信じてぐんぐん前進していけるタイプではない。

波にざざーっと持っていかれて、あっちに行ったりこっちに行ったり漂いながら、
気が付いたらそこにいる。そんなタイプだ。

だから、その言葉を初めて聞いた日、悲しく思ったんだろうな。

しばらくして、夜ご飯の時に息子がその話を旦那に話はじめた。
「お父さんはどう思う?」って、

そうしたら、旦那は
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる。」
「これは一休和尚が言った言葉。」

「お父さんはこっちが好き。」と言ったので、息子は笑顔になった。

私はその言葉にすべて救われた気がした。

2021年12月7日

狼に蛍が一匹とまっている

「狼に蛍が一匹とまっている」

この短歌を聞いた時、くすっと笑って素敵だ!と思った。
ちょっとおまぬけでポップな情景を思い描きながら、
子どもたちにも「どんな感じ?」ってワクワクしながら聞いてみた。

すると娘は、寂しいね、と言ったので私は驚いた。
娘には一匹狼の寂しそうな姿に寄り添う蛍が見えたのだと教えてくれた。

息子は更に、息子らしい答えで、
群れの中にいるちょっと出来損ないの弱い狼にとまった蛍が励ましているんだよと教えてくれた。

その二人の答えにまた、二人の生き方を見た気がして、心をうたれていた。

同じ言葉を聞いても、人によってこんなにとらえ方が違うもので、
毎日隣にいる子どもたちの耳に残る世界さえ私は知らない。

言葉は無意味だと思う日がある。
言葉に翻弄される日もある。
言葉に救われる日がある。

そうして、また、私は私の言葉を紡ぎながら、やっぱり言葉は面白い!と思っている。

最近、家族でお題を出し合って短歌を詠みあう雅な遊びをしている。
子どもたちの言葉はいつもフレッシュで、心にまっすぐ届く。

2021年11月26日