「サラダで元気」

子どもが国語の授業で「サラダで元気」を習ってきた。
子どもの音読を聞いて懐かしさで胸がいっぱいになった。

小学校一年生だった私は給食が苦手、ご飯を食べるのもいつもノロノロ、
生のお野菜もあまり得意ではなかったけれど、
「サラダで元気」の最後の挿絵の力こぶポーズが心にささり、
食べてみたい!食べてみたい!と思った。

その日曜、おばあちゃんにこれを作ってみたい!と一緒に作ってくれるように頼んだ。

おばあちゃんは、サラダに昆布いれるんか!とか、トウモロコシは今の季節はないな!
とか言いながら一緒に作ってくれた。

そのサラダは、文句なしの「元気サラダ」で美味しくて美味しくて、衝撃的だった。

時を経て、今度は子どもと一緒にサラダを作る。

「お母さーん、給食で出るんでぇ」
「りっちゃんみたいに自分で作るサラダは衝撃的においしいよ。」

とか話しながら。

他の調味料を入れたくなるのを我慢して。

ぐりんぐりんスプーンで混ぜる。

昆布をチョキチョキ子どもがハサミで入れていく。

子どもたちは大きなお皿を持ってきて、今日はサラダがメイン!

「おいしい!おいしい!本当においしいな!」
と言って、今までに見たことのないくらいの量のサラダを食べた。

そして最後に皆で力こぶポーズをした。

「おふくろの味」という言葉がある。

これは自分のお母さんしか作れない秘伝の味のような響きの言葉だと思う。

お料理の下手な私にとって私にしか作れない秘伝の味を子どもたちに残すことはできない。

けれど、誰もが簡単に作れる思い出の味は、私がいなくなっても簡単に再現できて、
これから先大好きな人たちとたくさん共有できるだろう。

そんな思い出の味を作ってくれた「サラダで元気」に感謝したい。

2022年11月14日

三つ子の魂百まで

最近ことわざを習っている息子は新しいことわざを知るとこれどういう意味?と
よく尋ねてくる。

「三つ子の魂百まで」ってどういう意味?
三才までにできた性格は百歳まで変わらないっていう意味だよ。と教えて、

改めてうんうん、と私がうなずく。

子どもの頃好きだったことや、ものが笑えるくらいに私自身、(旦那も)
やっぱりずーっと変わらない。
ただ少し使えるお金が増えて、大人買いできるようになってにんまりしたり、
ごっこ遊びがリアルになったくらいだなぁって思う。

相変わらず、クリープの蓋の花と花言葉を見るのが好きだし、
コアラのマーチは一個一個確認して食べるし、
おばあちゃんが座っていた自転車カバーのベルベットみたいな素材に
心くすぐられたりする。

息子がポケットの中に石や木をぎっしりつめて持って帰る、
娘が夢中になってリカちゃん人形の髪型を考えている。

いつかの自分をその姿に重ねる。

そして、未来のこどもたちの姿を目に浮かべる。

ほら、こっちにも、てかてかして「釣れたぞー!!!」と満面の笑みで釣りから帰って来たじいちゃんがいる。

これは100歳まで変わらないな~。
三つ子の魂は最強だ。

2022年5月7日

サイモント

去年の春先、ちいさなクモが家の中の観葉植物に巣をはった。
その巣は本当にクモなんかな?と疑うほど下手で、びろーんと下に垂れたり、
毛玉みたいなものがいろんな植物にくっいたりしていた。

いろんな場所に巣をはっては、のけられ、のイタチごっこになるので、
ある日、「この植物にはるのはオッケー!他の所にはったらのけるよ。」
とお願いしてみた。

嘘みたいだけれど、それ以来その植物にしか巣をはらなくなった。

相変わらず、もじゃもじゃの巣だけれど、可愛らしくて、
サイモントという名前をつけた。

葉水をすると、ひゃあ!となり、夏には巣づくりもまぁまぁ上手になっていた。

秋の終わりになると虫が減って寒くなってきたせいか、動きがにぶくなってきた。
上手になったとは言え、この巣じゃあ餌をとるのはきびしいだろうなぁ。

冬が始まる頃、いよいよ不安になった私は旦那に相談すると、
もう、生餌作戦しかない!ということになり、
家族総出で外の壁にくっついた小さな虫を捕まえては巣にひっつけるという
恐ろしいことをしていた。

年が明けて、その餌も食べなくなり
サイモントは小さくなって巣にくるまって息をひきとった。

サイモントの亡骸はその観葉植物の中に埋めて、巣はそのままにして、
この植物をもっともっと可愛がろうと思った。

今年も、春の気配がやってきた。
サイモントの植物は元気になって、
サイモントみたいに足を大きく広げた新しい芽を出した。
今度は大きくなったね、と話しかけてみる。

2022年4月1日

仲良しの木

はじめて私が木と友だちになったのは、小学校1年生の時に担任の先生が「仲良しの木」をみつけましょう。
という授業をしてくれたからだったと思う。

私が通っていた小学校は森の中にあって、緑の多い学校だった。
私は1年目にイチョウの木と仲良くなり、二年目にクロガネモチの木と仲良くなった。

小学校にいた間、その木とは親友みたいに話をして、卒業してからも時々会いたくなるとこっそりと会いに行っていた。
それ以来、いろんな場所で人と同じくらい木とも素敵な出会いをして、
よく行く場所であれば、散歩がてらに、話をしに行き、
遠い場所で出会ったなら、また来るね、と約束して、それを理由に旅行に行ったり。

家族の付き添いで行った暗い病院で大丈夫と寄り添ってくれたパキラ、
下の子の名前を考えていた時、相談にのってくれた大きな楠。
沖縄で出会った人懐っこくて自由奔放なガジュマルの木。

言い出したらきりがないほど、可愛い友達たち。

今日もあの場所で立っている。
それが、私の支えになってくれる。
木は人の耳には聞こえないけど、同じ根っこでつながってるんかな?くらい広い世界のことを知っていて、
不便なのは動ける人間の方かもね、とさえ思ってしまう。

最近仲良くなった、楠。


一目みて、よく来たねと言ってくれた。

生まれ変わるなら木になりたいなぁ。

2022年2月22日