「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」
高村光太郎の言葉だったか、高校生くらいでその言葉を切り取って知った時、
なぜか、すごく悲しい気持ちになった。
日が落ちた後、息子と散歩していて、遠くの方に光る赤い灯台の光を見つめていた。
そして、その言葉を思い出した。
「人の道も、ああいう風に、ここに行けば正解ですよみたいな目印があればいいのにね。」って、
息子に独り言みたいにつぶやいた。
そして、「私の前に道はない。私の後ろに道はできる」だって、と続けて話した。
息子は何も言わず何か考えていた。
私はいつもへっぴり腰で生きている。
何もない所を信じてぐんぐん前進していけるタイプではない。
波にざざーっと持っていかれて、あっちに行ったりこっちに行ったり漂いながら、
気が付いたらそこにいる。そんなタイプだ。
だから、その言葉を初めて聞いた日、悲しく思ったんだろうな。
しばらくして、夜ご飯の時に息子がその話を旦那に話はじめた。
「お父さんはどう思う?」って、
そうしたら、旦那は
「この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。
踏み出せばその一足が道となる、迷わずゆけよ、ゆけばわかる。」
「これは一休和尚が言った言葉。」
「お父さんはこっちが好き。」と言ったので、息子は笑顔になった。
私はその言葉にすべて救われた気がした。
2021年12月7日